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二十四日ハムプテンのハムレット、和田と三人。(のろのろとして居る和田)和田の不自然な緊張と荒々しさが自分の心を苦しめた。風の激しく寒い日
それから、お母さんに言つておく。平生も言つていることだが、わたしは遂に産といふほどの産を成すことができなかつた。物質的には、子にひとつ残すものはない。ただ、この家だけは、お母さんの名義にしておいて、若い者たちが自分の生活を築いて行く邪魔をしないやうにしなさい。
追伸
大阪駅の前に、ずらりと並んだ靴磨きの群れ、その中に赤井はミネ子とささやかな靴磨きの店を張っていた。
*世界は対象としての性格を有つから、世界の理論が宇宙――それは物理学的対象の特殊なものに他ならない――の理論となる理由が生じて来る。事実、新しい宇宙論は相対性理論の発展によって与えられつつあるのであろう。
「まだ小さかつたから、自分で漕いだことはございません。父が漕ぎました。」
「蓄音機さ」
小林はそのなかに自分を生かしながら、しかも自分とはまるで異つた他人を描かうとしたんだ。なんといふアムビシァスな仕事だらう。――しかしデモンをふり落すことには成功した小林も、どこまでその他人を描けたか?見事にそれには失敗した。
病人――大変よいようだ。
撮影が終わった翌日、オレは高野と酒を飲んだ。
相互決定の分析に先立って一つの注意を忘れてはならない。人々は茲に直ぐさま交互作用を憶い起こすことであろう。方法と対象とは交々互いに決定するのであったし、そしてこの決定は無論静止的関係ではあり得ないが、今もしこの決定をば決定という作用を作用する――WirklichesWirken――ことであると云うならば、相互決定の関係は一応は交互作用と呼ばれてもよいようである。けれどもそのような意味に於て交互作用を語るのであるならば、それは少しも方法・対象の相互決定を分析するものではなくして、却って一つのより蕪雑な概念――作用という――を用いて同語反覆するに過ぎないであろう。処でもし同語反覆以上のより積極的な内容を之に与えようとするならば、こんどはこの概念の使用の場合を取り違えていることに気付かなければならないであろう。というのは、その積極的内容ある交互作用とはカントに於てそうあるように、一つの範疇に他ならないであろう。という意味は、対象と対象との「関係」を構成する概念で夫はあるであろう*。処が吾々が求める関係は対象と対象との夫ではなくして対象と方法との夫であった。この関係にこの範疇を適用することはカントに於ても許されないことである。いうならばこの関係はカント的範疇を超越し之に先立つのでなければならない**。両者の相互決定の関係は既成の一範疇に包摂されて理解されるような部分的な事情ではないのであって、出来るならば却って一切の範疇をそこに於て統一的に理解せしめるような根本的な関係にぞくさねばならぬ***。それであるから今は交互作用――又はGemeinschaft――という概念とは独立に、この相互決定は分析されて行く必要がある。
「好きよ。うるさい時もあるけれど。」
B――俺は生死を自分以外のものに任せたくない。自分の意志で生き、自分の意志で死にたい。生きることも死ぬることも、完全に自分のものとしたい。
記述すべき歴史的事件は、人々にとって――但しそれは必ずしも歴史家個人ではない――個別的なものとして、何か夫々特有の興味をもち人々の関心を占めることが出来るものでなければならないことは、明らかである。処で人々が或る歴史的事件に興味と関心を有つのは、その事件が人々の評価している何かの価値――文化価値――に対して何かの意味を有つからである。無論人々は或る事物を評価して之を毀誉褒貶するであろう。併しこの事物を積極的に評価しているにしても消極的に評価しているにしても、この歴史的事件はこの事物――それが評価されて価値となる――に対して、たとい等しくないまでも、とにかく人々が無関心でない限りは、何かの意味を有つことができる。この歴史的事件はこの価値に関係づけられて意味をもつ。価値への関係づけがそれ故歴史的資料を選択する標準となり、之に基いて或る限られたる範囲内の事件のみが記述され得、又されねばならないのである。処が元来人々が個人である以上人々は、他の人々とは無関係に全く主観的に過ぎない評価をしないとも限らない。甲の関心を有つものに対して乙が全く無関心であったり、乙の賞讃するものを甲は誹謗したりするかも知れない。もしそうすれば歴史家は茲に至って、甲に従って好いか乙に従ってよいかを決定する標準を失うわけである。そこで歴史家が歴史的個物を関係づける処の価値は一般的価値であることが必要となる。一般的価値とは但し人々が事実上一般的に認めて評価を下している価値のことである。超越的な理念としてのそれではなくして、事実に於て現実に評価されて現われている価値――国家とか芸術とか宗教とかに現われた――がそれであるのである。歴史家は、人々によって事実上一般に評価されている価値へ或る歴史的個別的対象が関係せしめられ得るか否かを見て、その対象の取捨選択を行なう。それ故彼は一般的価値概念を自ら与えたり、況んや諸価値の体系を組み立てたりする必要はない(それは哲学者の仕事である)。価値関係づけに於ける一般的価値は常に事実的でなければならない。さて資料選択の標準が価値であるとすれば、この価値によって選択された一群の対象が、この価値を標準として、初めて因果関係の連関に於て、統一を得ることが出来るわけである。
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